目から鱗の日本史|第3回:江戸のトレンド「鼻目鏡」と職人ギルド。庶民に広がった老眼鏡文化

家康公の時代から約100年。平和な江戸時代が続くと、メガネは特権階級だけのものではなく、町人や農民たちの間にも広がっていきました。当時のメガネは「鼻目鏡(はなめがね)」と呼ばれ、現代とは少し違う「粋」なアイテムとして愛されていたのです。
こんにちは、72eyeworksです。
第3回は、メガネが日本の「暮らし」に溶け込んだ江戸中期の物語。読み書きが普及し、寺子屋や貸本屋が賑わうにつれ、メガネの需要は爆発的に高まっていきました。
「一、二、三」で選ぶ、露天のメガネ
当時の人々は、どのようにして自分に合うメガネを手に入れていたのでしょうか。
- メガネの露天商: 江戸の盛り場にはメガネ専門の屋台が並びました。「一号、二号、三号…」と強さが分かれたレンズを次々とかけ比べ、自分が一番見えるものを買う「現物合わせ」が基本でした。
- 老眼鏡が主流: 当時は遠くを見るためではなく、もっぱら「近くの文字を読む」ための老眼鏡が求められました。
- 職人ギルド「眼鏡仲間」: 需要が増えると、大阪や京都、江戸に「眼鏡職人」の組合ができました。彼らは技術を磨き、日本独自の繊細なフレームを生み出していきました。
日本の眼鏡史Q&A(第3回:江戸庶民編)
Q:江戸時代のメガネは、どうやって顔に固定していたの?
A:まだ耳にかけるツルはなく、紐を耳にかけたり、鼻を挟んだりするスタイルでした。当時の浮世絵を見ると、おじいさんがメガネを少しずらして鼻に乗せている、ユーモラスな姿がよく描かれています。
Q:近視用のメガネはなかったのですか?
A:存在はしていましたが、非常に珍しく高価でした。当時の生活では「近くが見えること」が何より重要だったため、メガネ=老眼鏡という認識が一般的でした。
Q:現代のメガネ選びとの一番の違いは?
A:江戸時代は「自分で選ぶ」時代。現代は私たちプロが「最適な度数を導き出す」時代です。72eyeworksでは、江戸の人が驚くような、科学的な根拠に基づいた最高の一本をお作りします。
まとめ:文字を追う喜びは、江戸も今も同じ
貸本を熱心に読むためにメガネを求めた江戸の人々。その「見たい」という純粋な欲求が、日本のメガネ文化を育てました。鴻巣の地でも、そんな読書の楽しみを支えるメガネ作りを続けていきたいですね。
次回は、日本の職人芸が爆発!べっ甲や漆、金属加工の粋を集めた「工芸品としてのメガネ」の世界を覗いてみましょう。お楽しみに!
江戸の「粋」を、現代の視界に。
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北鴻巣駅東口から徒歩1分。文字を読む時間がもっと楽しくなるメガネ、揃っています。