目から鱗の日本史|第2回:家康が愛した「目出し坊」の秘密。天下人が見た景色

2026.04.26

目から鱗の日本史|第2回:家康が愛した「目出し坊」の秘密。天下人が見た景色

戦乱の世を終わらせ、江戸幕府を開いた徳川家康。実は彼、大変な「新しいもの好き」で「健康オタク」だったことをご存知でしょうか?そんな家康が晩年に愛用し、今も大切に保管されている「日本最古のメガネ」には、天下人ならではのこだわりが詰まっていました。

こんにちは、72eyeworksです。

第2回は、静岡県の久能山東照宮に伝わる家康公の遺愛品にスポットを当てます。ザビエルが持ち込んでから約半世紀、眼鏡は日本のトップリーダーにとって欠かせない「実用品」へと進化していました。

「目出し坊」と呼ばれた、べっ甲の輝き

家康が使っていた眼鏡は、現代のものとは随分と趣が異なります。

  • 素材は最高級の「白べっ甲」: フレームには希少なタイマイの甲羅が使われていました。非常に軽く、肌当たりが柔らかいべっ甲は、当時から最高級の素材でした。
  • 鼻に「乗せる」スタイル: 現代のようなツルはなく、鼻を挟んで固定するタイプです。当時の日本では、その姿から「目出し坊(めだしぼう)」という愛称でも呼ばれていました。
  • 読書と薬作りの相棒: 学問を愛し、自ら薬を調合するほど手先が器用だった家康。この眼鏡で、古今東西の書物を読み耽り、次なる時代の戦略を練っていたのかもしれません。

日本の眼鏡史Q&A(第2回:家康編)

Q:家康公はかなりの「老眼」だったのですか?
A:遺されている眼鏡の度数を調べると、かなり強い凸レンズ(老眼鏡)であることがわかっています。70歳を過ぎても現役で政務をこなした家康にとって、視界の確保は命題だったのでしょう。

Q:当時、予備のメガネも持っていたのでしょうか?
A:記録では、スペインの総督から贈られたものなど、複数の眼鏡を所有していたようです。新しい技術を積極的に取り入れる柔軟さが、長期政権の礎になったのかもしれませんね。

Q:現代の「べっ甲」フレームと何が違いますか?
A:素材の希少性は変わりませんが、今のフレームは「掛け心地」が格段に進化しています。72eyeworksでは、家康公も驚くような、最新技術によるフィッティングを提供しています。

まとめ:天下人の視界を支えた一枚

家康公が見つめた江戸の街づくり。その瞳を支えたのは、海を越えてやってきた光学技術と、日本の職人が手掛けた美しいべっ甲細工でした。道具を大切にし、生涯学び続けた家康公の姿勢は、今の私たちにも通じるものがあります。

次回は江戸時代へ。文化の爛熟とともに、メガネは庶民の「おしゃれ」と「必需品」へと姿を変えていきます。お楽しみに!

天下人のこだわりを、その手に。

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